好きに結局言葉は追いつかないのだけれど、水面に光が反射してキラキラしている光景のようなあの金色の音と、湯船に潜って聴いている音楽のようなあのもったりとした声。
時々思い返したくなる会話や瞬間はこういった類の音楽に少し似ているような気がする。全く分からないはずの言葉が、音と声に包まれていると何故だか自分の必要としている言葉が並んでいるように思えてくる。そんな音楽こそ生活に溶け込み空気になる。 だからなのか、思い返したいと思う会話と瞬間は上手く思い出せなくて、でも心地良かったあの感覚だけは鮮明に残っている。
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一人暮らしをしてからというもの誰かを気遣って生活するという感覚がすっかり無くなってしまった。最低限起きる時間だけは外の世界に迷惑かけない程度の時間に起き、あとは好きな時間にお風呂に入り、好きな音楽を大きな音で流し続け、好きな時間に眠る。時間軸が狂い狂って朝方まで起きてることも夜中に起きるなんてことも日常茶飯事で。 自分の絵を客観的に見てみると多分日が出ている時間に描いた方がいいように思う。実際、個展をする時なんかは自然光がちゃんと入るような大きな窓がある場所かガラス張りが必須条件になってくる。のわりには夜中から朝方に絵を描いていることの方が圧倒的に多くて、夜な夜な描きながら一度絵の具が乾くのを待ってみたり脳内を整理するために、2時間くらいふらーっとカラオケに行ったり飲みに行ってしまったりする。たまに帰る頃には酔っ払ってしまいそのまま寝てしまうことだって日常茶飯事で。 私の家は電気を付けたり消したりするためのスイッチのようなものがなくて、毎回電球を緩めたりベッドの隙間にあるコンセントを抜いたりして電気を消していて、時々こうやって少しの時間出掛ける時は電気を付けたまま家を出てしまう。 飲んで酔ってぼんやり家に向かう午前3時半頃。 遠くから自分の家の少し薄暗いオレンジ色の光が見えると何故だか只者ではない何者かが住んでいる、そんな風に見えてしまうあの感じ。やっぱり何者かになりたい。 かなり黒色な生活をしている割に自分の描いた絵はやたらと温かくて優しくてたまに本当に自分が描いたのかと不思議な気持ちになることがある。自分が描いた絵に自分自身が追いつきたいと思うのは本当に不思議な話で、けれど本当にそう思わされている。自分が自分の絵で生活を支えられているからこそここまで絵を描くことを続けてこれたのかもしれない。 絵を描く時間を作業という言葉で口から溢れてしまった時、あまりにもそう呼ぶには冷たすぎると毎回心が変な感覚になる。絵に対してこういった些細なことにぎゅっとなるたび、温かいところが自分の何処かにちゃんとあって絵を描くということは繊細でとても丁寧な時間で、小さい頃私の髪をいつも結いてくれていた鏡に映る母の姿をふと思い出してしまう。 |
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